TAKASUGI Children's Clinic
院長プロフィール

【小児科医としてのこれまで】

「小児科医になる」と決めたその次は、「どこで研修をして一人前の小児科医になるか?」という問題がありました。1994年当時、医学部6年生の自分にとってこの問題は、母校の小児科医局に入局するか?もしくは、出身地である岡山の小児科医局に入局するか?ということでした。これは実際、「小児科医になる」ことを決めるよりも難しいことでしたが、今になって考えると重要な人との出会いが自分の人生の流れを良い方向に導いてくれていたことが分かります。1994年、医学部6年の私に、母校高知医科大学小児科教授であった倉繁隆信先生が、本当に力強く、熱心に母校での小児科研修をすすめて下さいました。倉繁教授と話をした時に感じる、人柄、懐の深さ、人間的魅力、小児科医のオーラに、直感的に運命的なものを感じていました。そして、「この先生の元で小児科を学びたい」と思ったのです。母校での小児科研修が自分の理想の小児科医師像に近づくには最適であると確信を持って、母校の小児科入局を決めました。今思えば,母校の小児科教授が、倉繁先生でなければ、今とは全く別の小児科医人生を歩んでいるかもしれません。

そして、晴れて医師国家試験に合格した卒後1年目は高知医科大学小児科で小児科医としての基礎をじっくりと教えていただきました。この1年間は,来る日も来る日も、病棟で患者さんに向き合い、向き合っていないときは石にかじりつくように勉強をして、まさに寝る時間以外はすべて病院住み込みで小児科医研修とう、実に壮絶な1年ではなかったかと思います。まさに素人同然の医者から本物の小児科医になるべく基礎を作る修行の1年間でしたので、もう一度経験してみなさいと言われても難しいと思います。でも,ちゃっかり,小児科医人生1年目の終わりには,人生の伴侶である妻と結婚しているので、公私共にかなり充実していたことは間違いないようです。

小児科医2年目からは、高知県立安芸病院小児科で6カ月,愛媛県立中央病院周産期母子医療センターで6カ月、総合病院国保旭中央病院小児科で2年、三豊総合病院小児科で2年という具合に、引っ越しの連続でしたが、数々の病院で研修させていただきました。そこで出会った多くの患者さん、先輩医師、看護師さんに見守られて、新生児医療から思春期までを含めた一般小児科医としてどこに出ても遜色ない実力をつけさせてもらいました。その頃は、正に「何でもこい」と言った具合で、今思い返すと少し天狗になっていたと思います。そんな頃、小児科医になって6年目の2000年春に、尊敬する倉繁隆信教授が胆管癌で亡なられました。私は、倉繁教授の予定在任期間から、小児科医になって10年間は指導を受けることができ、小児科医として一人前になることができると考えていたのに、これから先、どうしようという思いでいました。そして、倉繁教授の意志を引き継ぐ形で、助教授であった脇口宏先生が,後任として、2001年に教授に就任されました。この年、小児科医7年目の私は、母校の小児科に戻る事になりました。この頃は,とにかく「子どもの命」に関わる比重の大きい分野に興味を抱いていました。そして、自分の判断や治療で,子どもが助かることが実感できる分野として,小児科の中でも特に、小児循環器(こどもの心臓病)や新生児医療に興味を持っていました。2001年にそれまで母校の小児循環器を支えていた先生が、急に大学を辞めることになり、私が後任に抜擢された形で母校小児科に戻ったのです。しかし、小児循環器に興味はあるものの、専門的知識の乏しい状態で母校の小児循環器を任される立場になってしまったのです。

そんな経緯もあって、小児科医8年目の2002年から,更なる高みを目指して,大阪にある国立循環器病センター(国循)に小児循環器の勉強に2年間国内留学をさせてもらいました。国循では、小児循環器分野の専門的な診療と技術を徹底して研修しただけでなく、世界に発信する最先端医療を身近に感じられ、手が届く世界でした。そして、全国に国循小児科で研修した先輩、同僚の繋がりをもらいました。これは本当にありがたい財産です。なぜなら国循で研修しましたという事実で、小児科の循環器専門の医師からの信頼を得ることができ、多くの先輩、後輩とも気持ちが共有できるのですから。小児科医10年目の2004年に国循での2年間の研修を終えて、再び母校に戻りました。今度は、本当に自分自らが小児循環器分野を牽引して、臨床、教育、研究に邁進する日々でした。大阪の国循と比べると、母校小児科での小児循環器診療は、できる規模もレベルも違いすぎ、愕然とする事も幾度となくありました。でも、勉強したことを生かして、少しでも、一歩でも先の小児循環器診療、「命に携わる医療」を高知の子どもに還元することができ、母校小児科になくてはならない存在になれたのではないかと思っています。小児科医14年目の2008年には、国循で関わった患者さんのデータをまとめて書いた臨床研究論文で医学博士もいただくことができましたし、更に、2008年11月から2011年3月まで、2年5カ月もの間、母校の小児科病棟医長を務めさせていただきました。

母校、大学病院に勤務する小児科医として、小児循環器の専門家として、「命に携わる」小児医療を大学病院で提供し、学部内では、医学部の学生教育、研究活動に力を注ぎ、とても充実した時間を過ごすことができました。しかし、一方で、急性期、高度医療だけでは、患者さんは幸せになれないという事もよく分かりました。更に、経済優先の不自然な世の中で、健全で、元気で、幸せな子ども達が激減している事に心から危機感が募るようになりました。そして、自分で地域の子ども達を近くで診ながら、子どもの健康と幸せを実現する事で、社会をを良くしたいという思いが強くなりました。そして、2009年に「よし、小児科開業医になるぞ」と決意して動き出しました。