本当に医師になろうと決意したのは高校2年生の頃でした。それまで、小学生の頃から、大好きだった担任の先生のように教師になりと思っていたことを覚えています。その後、中学から高校と成長する中で、祖父や兄弟の病気を傍らで経験して、病気の人に寄り添い、治療する事ができ、自分自身も成長しながら、充実感を得ることができる医師になりたいと思うようになりました。今から思うと、人と関わって、人に何らかの影響を与えられる存在になりたかったのだと思います。
高知医科大学での学生時代、医学部のクラブとはいえ、体育会系色の強いラグビー部に所属していたので、先輩達の多くは外科医や整形外科医になっていて、医学部6年生になる頃までは、自分も漠然と外科医になることを頭に描いていました。もちろん自分では指先の器用さには自身がありましたし、解剖実習でも自分の器用さは友人の認めるところでもありました。かなり大袈裟ですが、将来、外科医になって「“神の手”と呼ばれるようになるのでは?」と内心期待したりもしていました。医学部5年生での病院実習、通称ポリクリでも、外科系の診療科が明るく、男らしく、楽しそうに思えましたので、正直なところ小児科にそれ程多くの魅力を感じていた訳ではありませんでした。しかし、医学部6年生になる頃に、現在の妻や両親と話しをする中で、次のような考えを持つようになりました。
外科医は、患者さんの人生の時間の流れに対して、手術という点で関わり、手術の出来つまり技術が重視され、しかも現代のように臓器別に分かれた外科医では、患者さんの全身をみることができない。内科医は、患者さんの人生の流れに対して、時間に寄り添って関わることができ、診断力や人間性が重視されるが、やはり現代の臓器別の内科医(呼吸器内科・循環器内科・消化器内科など)では、患者さんを全人的にみることが少ない。なによりも内科医の仕事の中心は老人期の医療であって、将来や未来へ希望をつなぐ医療にはなりにくい。そんな風に考えるようになりました。
その頃は、現在の卒後臨床研修制度のない時代で、医学部6年生の夏休みの頃には、自分が何科の医者を目指すのか? どこの医局に入局するのか? を決めていました。
「自分はどんな医者になりたいのか?」を改めて考えたとき、以下の3つが頭に浮かびました。
- 1. 「困っている患者さんがいたら、どんな病気であっても診療できる」
- 2. 「かけがえのない命を助け、守ることができる」
- 3. 「自分の人生をかけるやりがいが持てる」
この様な視点で考えた時に、子どもが好きであった(嫌いでなかった)こともありますが、小児科は、赤ちゃんから思春期頃まで、成長する過程にある患者さんの人生に寄り添って関わることができ、あらゆる疾患を診る総合診療科でした。小児科医は、未来のあるかけがえのない子どもの命に寄り添うので、責任も重大ですが、最もやりがいを持てるはずだと思うようになりました。外科医と小児科医との間で気持ちが揺れたこともありましたが、結局、「小児科医になる」で決まりました。